8時過ぎに帰宅、汗を流して、洗濯をしながらビールに浸っています。「酒びたり」を手に入れられなかった悔しさから、今ビールを攻めています。
行きも、帰りも、バスの窓からきれいな富士山を見ることができて、皆さんには申し訳ないような気がしていますが、これも日ごろの行いがいいからだと、勝手に思っています。勿論、乗る積りにしていたバスが「9月2日で運行停止」で1時間待ちも、そのあおりで何人もの人を慌てさせたのも、日ごろの行いが反映されたものと、反省しています。 来年こそは、「剣道じゃんけん」での初勝利を目指して、充分な稽古を積んで参加する積りでいます。 |
合宿より五時に帰宅しました。
いま道着面下の洗濯を終えたところです。 行きはかなりの大渋滞でひやひやものでした。 帰路も上野原から府中までが渋滞。 そういえば圏央道が開通していることを 忘れており急遽この道を使い関越道に入り、 三時間半での道中でした。 参加の皆さんには大変お世話になり、 ありがとうございました。 ただでさえメタボで重い体なのに 筋肉痛で体がますます重く動きの悪い大根でした。 今回も己の欠点がいっぱい見つかり、 ショックもありましたが、初日講演の吉野先生の ありがたい、ありがたいという気持ちで 明日からの稽古で直していこうと思います。 また、来年は30周年の記念合宿になります。 お会いできることを楽しみにしてます! ^_^;(近場ね)=kumon姐さんごめん! |
はじめて投稿します。
光人社・南堀英二著の『昭和の二刀流ビルマに死す』 天覧試合の花形藤本薫の生涯を紹介します。 昭和9年5月に宮城内濟寧館において挙行された「皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会」に、高松の仏生山郵便局に勤める21歳の青年剣士藤本薫三段は、右手に小刀、左手に長刀という逆二刀で、全国の並み居る強豪を試合時間一分以内、すべて二本勝ちという圧倒的な強さで天覧の決勝戦へと勝ち上がり、東京府代表の野間恒六段と優勝を争いました。 藤本薫は高松中学(香川県立高松高校)で剣道をはじめ、逆二刀をもって活躍、早稲田大学に進学しましたが、父親が局長を務める仏生山郵便局の仕事を手伝うために帰郷、植田平太郎範士の薫陶を受け剣の道の研鑽を積み、天覧試合準優勝の栄に輝き、「野球の宮武三郎、マラソンの楠好蔵、剣道の藤本薫は香川の三名物」と謳われた名剣士でしたが、昭和17年3月、出征していたビルマのペグ−において左腕貫通銃創を受け、奇しくも出会った剣友菅悟に、「腕落したら、剣道ができんよなる」という言葉を残して戦死しました。 なお、本書は孤高の逆二刀剣士藤本薫の生涯を描いたものですが、藤本が師と仰いだ昭和の剣聖植田平太郎範士、藤本と高松中学同期の植田一範士九段(元全剣連副会長)、大島功範士(元全剣連会長)小豆島の菅悟・藤岡順という稀代の名剣道家についても、かなりの枚数を費やしておりますので読んで頂けますれば幸甚です。 |
皆様、ご無沙汰してます。
実は今回の学校へも仕事の都合行けなくなりました。 今年は何人ぐらい参加されるのでしょう?? 残念です。今年もいい合宿になるよう怪我なくがんばってください。 PS.又兵衛さん六段合格おめでとうございます☆ |
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