皆様お久しぶりです。
子供の時は「おてんば娘」と言われて傷ついていたこともありました。 色黒だからバレー部やテニス部でこれ以上真っ黒くなったらお嫁にいけないと言われ、日焼けしない剣道部を選んだのは中学一年生の時。 でも、「女子が剣道なんて」と言う時代で、竹刀を持って歩くのが恥ずかしく、一年で退部。 金輪際あんな恥ずかしいものはしないぞと思っていたはずなのに、 大学で優しそうで(?)すっごく美しい先輩に勧誘されて、なぜか(実は「あんみつ」につられて)再び入部してしまった。 まだまだ女性は少なくて、4年生の時初めて関東大会の女子5人の団体戦ができた。 当時女子部員は5人しかおらず、だれも欠けられないという状況で、 気持ちも充実して5人で頑張った。 4年の時は試合が急にふえて、昇段審査と重なったりで、とうとう3段が受けられずに卒業してしまった。 その後3段ぐらいは受けたいと思って、家の近くの道場へ行ったものの、そろそろと言うころに結婚話がでてしまい、引越してまたまた逃した。 結婚後共働きでなれない家庭と仕事でくったくた。 でも、やっぱり3段はと思い、近くの剣道場に通い始め、そろそろと思ったころ、妊娠をしてしまった。 その後子育て、海外駐在・・・でいつかは、いつかはと思いつつ、 30年が経過してしまった。 自分の中では、ずっと思い続けていたので、そんな気はしてないんだけど、 30年ぶりの昇段審査は、すごく緊張してしまい、蹲踞がぐらついて ひっくり返ってしまうかと思ってしまった。 お陰さまで3段の道が長かったので、次は早かったのですが、長い中断のお陰で今は剣道が新鮮で、楽しいです。 今は女性の剣道人口がすごく多いので驚いています。 先日後輩のうりぼうが誘ってくれたので、OB大会に参加させてもらいました。 30歳以上を二人いれないといけないとかで。 でも、ちょっと上過ぎるんだけどー。 久々にムンムンした活気ある会場に立っていたことが嬉しかったです。 来年元気でいられて、また後輩が声をかけてくれたら、参加したいなって思っています。 密かな目標は参加女子最年長記録かな? 長くなって、すみません。 おかんも結構剣きちでーす。
僕が「ドラ太のおかん」と呼んだもんだから「おかん」のイメージが強いが、30才後半にしか見えない。そしてチャンバラも「若い」剣道をする。
ところで、この頃「ドラ太」は如何しているの? 駐車している俺の車に自分の車をぶつけてから見ていない。
お久しぶりでございます。
とりあえず修士論文を書いております。姿を現さないのは 今まで怠けてたからです。 先生のお車に体当たりの稽古をさせて頂きましたが、 流石は先生のお車だけあって、へこんだのはウチの 車だけでしたね。 |
悩みがあると稽古に身が入らないってなことない?
俺の場合、7っ目が受審出きる時期の10ヶ月前から仕事上難しい問題に直面し、嫌なことが連続してその処理に8ヶ月を費やした。こんな商売だから「常時」嫌なことはあるのですが、頻繁に携帯がなり、それも時間を問わずかかってくる、心の底から疲れた。 そんな時期でも稽古に行ったのですが、身が入らず「上の空」状態で、折角良くなった剣道も、坂道を転げ落ちるように「堕落」していく。 会社、仕事、家庭、仲間、これら自分とかかわるものが「良好」でないと、チャンバラも上手くいかない、ただ苦しいだけの時を体験した。 誰でもそうだと思うが「会社、仕事」が上手くいかないとチャンバラに影響する、僕の場合、商売上「孤独」なので相談する人もいない、苦しさには慣れているが、その時ばかりは参った。 気が向かない時、漁で疲れを感じた時、この頃「気軽に」休むようにしている、そして気分的に「気軽に」剣道するようにしている。 苦しい時は剣道を「休む」のも一つだよ、2〜3ヵ月休んでも人はそんなに「腕」を上げてはいない、自分が思う以上に遠くには行っていない。 この頃、大根さんが書き込みしないので心配になって「お節介」をしてみました。 |
みんな、たくさんのコメントでびっくり。
そして、愛のある内容でうれしい! 今は稽古から離れているが、書き込みを読んでいると気持ちが戻る。 いつか受けなければと思っているが、実はあまり気がない昇段審査。 剣道学校に参加を始めた十数年前の若き乙女だった頃も審査には興味がなかった。 それよりも自分を褒めて稽古してくれる人を求めて剣道学校に参加したり、出稽古に出かけていたような。 それと、自分よりも大きな敵(?)を倒してみようという心意気。 いつも一発KOで30秒も稽古してもらえなかったO先生。 出が分かるのに、どうして防禦できないのかと悔し泣き。 1本で終わってしまうから、それがまた悔しさ倍増!! 結局一生かなわないまま終わってしまったが、あの頃は1秒でも1本でも多く稽古できるようにと目標があったなぁ。 稽古では雲の上の存在だったけれど、人としてはとっても愛する人だった。今でも愛してるけど、本当に雲の上の人になってしまった。 なんだか愛の告白のようだけれど、人として惚れ込んだ笑顔のステキな人だった。 みんなの書き込みを読んでいて、こんなことを思い出しました。 これからも剣道を続けられるのは、やっぱり色んな面白い人達との関わりがあってこそ。 私は自分の剣道に自信や納得ができたときに、昇段審査を受けてみようかな。いつになるか?? 大根さん、一緒に自分探し頑張ろう! あやしいハットさん…イワゴン先生、会えないの残念!10月を迎えて、昔を思い出した。 山中湖で雲の上の人とイワゴン先生が日本剣道形をしたことを。 今でも鮮明に覚えている。ザッザッザ…と音もないのに音が聞こえる剣道形。 色々思い出すと涙が出る… |
ある日、神様が現われ「あんた、悪いが、明日がこの世で最後の日だよ」、「稽古するなら今晩かぎり」と言われた。
最後の稽古を誰としたいか? 剣きち君か、否、全日本の優勝経験者、宮崎さんか西川さんか。剣道だけを思い出にするか、それとも「心」に響く何かを刻み込みたいか、「最古の稽古相手」が「師」かも知れないね。 今は生きている、「最後の稽古相手(師)」と望む人が「格上」の人でも手紙を書き、自分の気持ちを伝えて「師」となってくれる様に頼むことも出来る。 ある稽古場に全日本3位の人がいた、準決勝で宮崎さんに破れたが、ある全国大会では見事優勝している。ある土曜日、稽古に行くと誰も来てなかった、ランニングと素振りをして風呂に入っていた。 ガラッと風呂の戸が開いて「剣ちゃん、来ていたの、今から稽古する?」「はい」と言って、着替え、切り返し、打ち込み、「あと何がしたい?」 「Aさん、先日の全日本で宮崎さんと試合をしているとつもりで5分間やってくれませんか」 「あぁ、いいよ」 実は、僕はAさんと宮崎さんの試合をビデオで20回も繰り返し見ていた、2本面を「小手面」で負けたシーンは脳裏に焼きついていた。 それを出した、心に残る思い出の稽古だった。 |
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