予測能力を磨く「いなづま型攻撃」

予測能力を磨く「いなづま型攻撃」(大塚忠義)

はじめに

剣道というのは自分と相手がいて、その相手を打つことを目標とするわけですが、相手も人間ですからこちらが打とうと思えば当然それをよけようとします。

竹刀が動き始めてから打突部位に到達するまでには0.3秒から0.4秒ぐらいの時間がかかるのに対して、それを防御するのには0.2秒ほどしかかからないというデータがあります。防御に要する時間は攻撃にかかる時間の半分ぐらいなのです。そこを打たなければならないわけですから、単純に技を出しても打突部位をとらえることはできません。

打つためには相手がよけきれない距離に進んで時間差をなくしてしまったり、あるいはある部位をよけさせることによって別な部位をあけさせたりしなければならない。これをスキというわけです。打てる空間-心理学の言葉で不応期といいますが-をつくらなければいけないのです。そのための一つの考え方として示したのが「いなづま型攻撃」です。右の図(当サイトでは下図)にあるように、自分が何かしらの作用を相手にすると、それに対して相手がよけるなり攻撃するなりの反応をします。

(1)こう作用すれば(2)こういう反応が出るだろうということを見通して-これがスキの予測とか読みということですね-(3)攻撃をする。この三段階はこのような形の図に表わせるので「いなづま」と名付けたわけです。

稽古や試合の実際の場面では、当然相手のほうも、同じように自分がこうすれば相手がこうするだろうと読みをめぐらしており、互いに読み合ってダイナミックな活動をしているわけですね。

読み合う内容は三つほどあります。5W1Hという言葉がありますが、誰が(Why)となぜ(Why)ということはともかく、残りの三つ、「いつ(When)」、「どこで(Where)」、「なにを(What)」の3Wは読み合っている。つまり、「いつ」打てばいいか、「どこで」つまりどの距離、間合で打てばいいのか、「なにを」つまりコテにいくのかメンにいくのか、ということですね。時間と距離と部位というふうなことを読み合って、「今、この間合まで詰めたら面に出てくるだろうから出小手にいこう」というように判断しているわけです。

されに1Hの「いかに(how)」というのは、竹刀先がどういう軌跡を動いて行くか。ストレートに打っていくか、連続技でいくか、あるいは防御からすり上げていくというような、身体の動きということで、これも意識しています。3W1Hぐらいをつねに人間は意識しながら打ち合いをしているのです。

これが生きている人間同士が行っている1対1という関係の剣道の技術なのです。従来、それを練習する上ではほとんどが1対0という関係でしてきました。つまり一方は面なら面を決まった距離で打っていき、相手は打たせてくれるという関係での練習です。しかし実際は1対1の関係で、そのやりとりはこのようないなづまの性質を持っている。それを習得するために、いくつかのパターンを取り出したわけです。

図の斜めの矢印、つまり相手の反応によってスキが生じるわけですが、そのスキ、不応期は大きく三種類に分けることができると思います。従来の理論では先先の先、先の先、後の先というように区別しますが、少し分かりにくいのです。

次に示す分類はある中学校の生徒たちの意見によるものですが、初心者、子供たちというのは案外本質をつかまえるものです。

(1)よけスキ

ある部位をよけたことによってできるスキ。相手が面を打ってきたので、打たれないために手元を上げて竹刀でよけたので胴にスキができたというような場合。

(2)ぼけスキ

反応が完全に遅れてしまって、対応できない時間差に生じるスキ。たとえば、ある間合まで攻め込まれたとき、面にくるのか小手にくるのか「どっちだ」と迷った瞬間に打たれてしまうような場合。あるいは竹刀を払われて、竹刀での防御が間に合わなかったというような場合。

(3)攻めスキ

攻めかかっている最初の段階、あるいは攻撃中にできたスキ。こちらが攻めようとして出た瞬間、振りかぶった瞬間に小手をとらえられた、あるいは面に出たときに胴があいたので抜き胴を打たれたというような場合。

以上のようなスキがどのような自分の作用、相手の反応によって生じるのか、そこをどうとらえるのか、「いなづま型」に則って実際の例を挙げてみましょう。

1 入ると単純に移動するパターン

Aが打ち間に入る。ここで打ち間というのは中結同士が交わるあたり、出れば一足で打てる間である。それに対してBが出る(あるいはその場にとどまる)か下がるかするのに応じて、Aが打っていくというパターン。右列の連続写真はAが打ち間に入ったが、Bがその場に無防備にとどまるので、Aがそのまま面を打つというもの。小手があいていればそこにある小手を打つこともできる。これは無反応の状態、つまり典型的な「ぼけスキ」の状態である。

左列の連続写真は、Aが打ち間に入ると、Bはそのままでは打たれてしまうのでいけないと思って下がる。Aはその下がるところを面→面と二打でとらえるというもの。

実際の稽古や試合では、何度か打ち間に浅く入ったり深く入ってみて、「Bさんは僕が出るとその場でじっとしている」と判断したらAは右のように打っていくし、入れば下がるということがわかれば左のように打つ。AがそのようにBの反応を予測して打つのである。これは主として距離(「どこ」)を意識し、ぼけスキをとらえるパターンだ。

写真の向かって右の人物がA、左の人物がB。

写真に合わせるため「いなづま」の向きが27ページ(当サイトでは最上図)とは逆の方向になっています。

以下同様。

2 入ると竹刀で押さえにくるパターンでの指導の問題と新たな視点

Aが打って行くとBが剣先で押さえにかかってくるパターン。まず、右列の連続写真のように表から押さえにかかってくる場合、Aは下から回すようにして面を打っていく。あるいは小手を打つことも可能である。面の場合の竹刀さばきは、手首を返すようにして回し込んでいく方法もある。

左列の連続写真はBが裏から竹刀を押さえに来た場合で、この場合は小手は相手の竹刀にさえぎられるので打てるのは面のみである。

Bの対応は一種の防御であり「よけスキ」をとらえるものといえよう。このときBは竹刀で反応してくるのだが、前に出ながら、あるいは下がりながら押さえてくる場合もある。そうすると、Aは、Bの竹刀がどちらからくるかという方向と、距離の両方をとらえながら対しなければならない。

実戦面での注意事項としては、竹刀の動きをとくに気にする人に有効であり、技を決めるためには手の内を柔らかくしておかなければならない。

3 入ると打ちにくるパターン

わずかに小手をみせて相手を小手に誘う(2コマ目)。

すり上げて面に行く

Aが打ち間に入ろうとすると、Bは出小手をとりにくる。それまでのやりとりの中でAはそれを読んでおり、Aとしては小手にこさせるのである。右列の連続写真ではそこをすりあげ面にしとめている。ここでは小手抜き面にいってもよい。

左列(当サイトでは下列)の連続写真はAが打ち間に入ろうとするとBが面に出てくるような体勢であるので、面にこさせてすりあげ面にしとめている。ほかに返し胴や抜き胴、あるいは出小手でとらえるパターンも考えられる。

攻めスキをとらえる打ち方である。もちろん「どこ」という要素もあるが、主に「なに」ということ、つまり小手に出てくるか、面に出てくるか、ということを読むのである。

Bに小手を打たせるために、Aが剣先を下ろして裏に持っていき、小手を見せると効果的である(中列-当サイトでは上の左列-の写真)。これが「誘い」であり、面の場合は剣先を開く。しかし、これらの場合、見せすぎたら相手は乗ってこないし、入りすぎると動作が遅れて打たれる。ぎりぎりのところで応じなければならない。そのあたりの「どこ」の読みも訓練する必要がある。

4 打つとよけるパターン

初心者の段階で効果的なパターンである、「よけスキ」を利用するものだ。Aがメンを打つふりをして大きく振りかぶる、いわゆるフェイントを見せて、あるいは実際に面を打っていき、Bが頭をかばうので、そこでAはあいた胴を打つ(右の連続写真)。このように面の防御を引き出した場合、あるいは裏の面にいくこともできる。

中列(当サイトでは左列)の連続写真のように小手を打つと見せる場合は、小手をしっかりよけさせて、まわして面を打っていく。

面の場合の第一打は振りかぶって止めるフェイントではなく実際に打ってもいいが、打つ場合でもこの打ちは「虚」であって実打ではない。実打で打ち切ってしまうと、筋肉の緊張が出てしまって次の動作につながりにくい。虚で打ち実でとるというもので、第一打と第二打の打ちの軽重は違う。

ここでのポイントは急ぎすぎないことである。面→胴に行こうと決めておいて、自分のリズムでパッパッと打っても相手が面だと思ってくれないとスキはできない。

このフェイントという技術は、見破られてその虚の出ばなをストレートの狙われると弱い。たとえば面に打つと見せるフェイントはそこを出小手にとられやすい。だから技術が上がっていけば、大きなフェイントは通用しなくなり淘汰されて、もっと小さな動きになり上達していくのだ。

これはつばぜり合いの場合でも同じことが成り立つ。竹刀を振り上げて面だと思わせひき胴を決める。逆に胴を打つフェイントで面を打つということができる。間合が近くても原理は同じなのである(左列-当サイトでは下-の写真)。

つばぜり合いからのひき面のフェイントを入れて、あいた胴を打つ

5 打つと反撃してくるパターン

Aは、Bは面に対する返し胴がうまい、ということが分かっている。あるいは感じている。それを出させてしまえという考え方である。面に打てばBは返し胴にくるということを読み込むのだ。[3]の「入ると打ちにくるパターン」では、Aは間をつめてBの打突を引き出したのだが、今度はAは打つことでBの反撃の打突を引き出すのである。そして[3]は、ある地点に出ると(「どこ」)、ある部位に打ってくる(「なに」)ことを読んだ。ここ[5]ではある部位(「なに」)を打つとある部位(「なに」)にくる、と読むのである。Aが一手、対してBが二手目、そしてAが三手目でとらえる「三手の読み」である。

右の連続写真はAが面に打っていくとBが返し胴にくるので、Aはそれを打ち落として面にいった例である。左は、Aが打っていった小手をBがすりあげて小手にくるので、Aはそれをさらにすりあげて面にいく。もし、Bがすりあげて面にくるなら、Aはそれを返して胴というようにいく通りものパターンが考えられる。

「なに」と「どこ」と「いつ」という要素が全て入った、メリハリのある攻防で、踏み込み足と軸足の素早い切り換えが重要である。こういう場面は実際にはあまり見られないのだが、総合的な動きの訓練として非常に内容のつまったパターンといえる。

6 その他の構えや位置関係を変化させるパターン

ここにあげた他にもさまざまな攻防のパターンが「いなづま」によって説明できるが、最後に二つ例をあげておく。

ここでいうカスミの構えとは、面、小手、右胴を一度に隠すもので、批判の的になることもある構えである。Aが攻めるとBがその構えをとるので逆胴を打つというのが右(当サイトでは上)の連続写真。この場合は左小手にも打っていける。これは現在の実戦の中でよくある場面であり、よく練習しているパターンでもあろう。

次ページ(当サイトでは下)の例は、Aが右へまわると、Bは身体はもとのままだが、竹刀だけで合わせてきたという場面。そこに実質的に「割れた」空間ができるので、Aは小手を打つ、というもの。身体ごとまわってくればスキは生じないのだが、手だけで反応することによってスキができたのである(この写真のみAが左側、Bが右側)。

以上のような「いなづま型」に表せる構造を剣道の技術は原理として持っています。実際は、頭の中では誘い出して、つまり予測をともなって仕向けていたにもかかわらず、それが動作としては非常に微細ですから、表面的にはあたかも反射的に打っているように見えます。

大脳の判断レベルまで持ち込んで構成していった使い方が「読み」、それに対し、途中の「反射弓」といわれる部分で動作に切り換えてしまう人間の反射機構を使ったものが「反射」です。両者の現象結果はよく似ています。だから「一眼二足三丹四力」の「眼」は読みということでしょうし、あるいは剣道の言葉で一番よく言われる「攻め」の意味するところは、「いつ」「どこで」「何を」であって、予測をもっとも大事にしろと強調しているにもかかわらず、その具体的な中身を取り出すことはあまりされていないし、基本練習の仕方は前述のように1対0の関係による反射を身につける方法ばかりになってしまっているんですね。

確かに、そのほうが学習として早いのではないかと思わせるくらい、剣道の打突が決定されるための時間というのは短いんです。5センチずれただけで一本かそうでないかの違いが生じるし、受け違えてその上から打たれるかどうかの違いは0.1秒もないでしょう。そこを争っているのだから、事実として早いか遅いかの反射も大切です。

実際の稽古や試合では、面返し胴を例にとって考えてみれば、相手が面にくるかもしれないという予測はしているのですが、「くるかな、くるかな、あっ、やっぱりきた」という具合に、最後のところは反射的にパッパッと身体が動いています。

しかし、その場面において面にくるかもしれない、という予測は不可欠であり、内面的なほんのちょっとの心の準備がすぐれているのが名選手なのではないでしょうか。

上達の段階から見れば、1対0の約束された関係で行う反射の経路だけの1対0の技の練習も必要でしょうが、それはスピードやパワー、つまり身体がうまく動かせたかどうかの話であり、うまくいかない場合は、ただひたすら反復して繰り返して行くほかはないのです。

もちろん、それでうまく打てれば喜びはありますが、ここに述べたような予測を使う稽古によってうまく打てたときの喜びは反射の打ちとはまた質が違うと思うのです。そこには自分が仕組んだ喜び、技を構成した喜びがあります。相手の心を読む、動作を読むというのは、未来にかかわる時間認識であり、きわめて頭脳的な喜びであると思うのです。心理学でもいわれていますが、読み、予測というのは、生得的なものではなく、明らかに学習された能力です。身体的な資質ではなく、経験、情報の蓄積であり、人間の人間らしい能力だと思います。

そしてこれは反射的に行われがちな試合結果だけにとどまらず、技を楽しんでつくっていく剣道というような姿にもつながります。だから、読み、予測というのは能力としても大事にしなければならないし、稽古の中でもそういう喜びがあるということをもっと強調してもいいのではないかと思うのです。

もちろん実際の稽古や試合の中では、このような読みを単独に使うわけではなく、複合して使っているわけです。

ここで述べたような「いなづま型」の技の練習でも相手が決まった反応をすることを想定してやっていたのでは、1対0の関係と同じかせいぜい1対0.5の関係になってしまうわけですから、次の段階としては反応をアトランダムにして、それに応じて打つという練習に進んでいく必要があります。

そして、これを実際の稽古や試合での打ち合いにどう結びつけるか-。

相手の反応を大きく分ければ攻撃か防御か、です。言い換えれば、来るのか(懸)、待ちなのか(待)。そして相手の反応が攻ならばこうする、防ならばこうするというふうにインプットされている。経験を積んだ剣士はその選択肢を多様にもっているわけです。そこに「いつ」「なに」「どう」「どこ」を組み込んでたばねていく。それらをたばねて複合化した、いわばフローチャートのようなものを頭の中にもっているわけです。高校生ぐらいの場合でも、相手の反応の攻、防に応じて、二つないし、四つぐらいの技を頭の中にもって戦っているのではないでしょうか。

したがって次に必要なのは、ちょっと深く攻め入ってみて、出る気配が濃厚なら待ってみよう、出てきそうもなければ打っていこう、という「距離認識」ですね。ある距離に入ると相手は態度を決してくれるでしょう。そこで「出る」と思ったらあまり深く入らずに、相手がくるときのために準備しておく。あるいは誘いをかけてみる。来ないようなら「よけスキ」や「ぼけスキ」を予測しながら打っていく。深く入ったり浅く入ったりを繰り返す中で、この距離認識を身につけていくことが次の段階へのステップであろうと思っています。攻と防を複合化していくということですね。

アトランダムな反応に対して打ち分ける

これまでに挙げたパターンを実際の稽古や試合で使いこなすための、もう一歩進んだ段階の単純な練習方法である。

右の人物が間合を詰めていくと、攻められた左の選手は(1)面を防ごうとして手元が浮く、(2)小手をかばおうとして面があく、(3)面を防ごうとして(1)よりも大きく手元を上げる、のいずれかの反応をする。最初はこれまでのパターンと同じように、(1)の反応をしたので小手を打っていく、(2)に対して面を打つ、(3)に対して胴を打つ、という練習を繰り返すが、次の段階では、左の人物は(1)(2)(3)のどの反応をしてもいいことにする。右の人物はそれに応じて瞬時にスキができた部位を読み判断して打つ、という練習をする。

このようないなづまの反応をアトランダムにして、相手の変化に合わせて打つ練習法は多様である。